生きていてほしいと思う人がいる

 

生きていてほしいと思う人がいる。

インターネットに文章を載せている人だ。

現在その人とのやりとりなどは全くない。

勝手に文章を読んで勝手にいつか死にたいと考えなくて済むような環境に身を置けるようになってほしいと願っているだけだ。

 

もし私が富豪だったらその人の衣食住を全てまかなって、しんどいなかで働くなんてせずに好きなように生活してほしいと思う。

しかしそうなってもその人は私を好きにはならないだろう。

その人の見た目なんて知らないし実際の性格も知らないしもちろん恋愛感情などはないが、そんなことを考える。

べつに好きになってほしいわけではない。

ただその人が少しでも幸福を感じる日々が訪れたらいいのにと思っているだけだ。

 

でも好きになってほしいと思わないのは私がすでに夫から愛されているからだろうか。

もし私が孤独の身なら是が非でも愛されることを望むのだろうか。

 

ただ幸せでいてほしいと願いたい相手がこの世にはたくさんいる。

その人がその中の一際なのだ。

その人の存在が好きなのだ。

存在を愛せば見た目や中身が変わったところでどうということはない。

私が直接嫌いと言われるまでは好きでい続けることができるだろう。

 

私がもし富豪だったらまず夫を幸せにする方を先に考えなくてはならないが、私がその人のことを考える時夫は別の場所にいるのだ。

だから想像上の話ということになる。当たり前だが。

 

その人にそう思う人間が現実にもいてほしい。

富豪でその人の衣食住を全てまかなって、しんどいなかで働くなんてせずに好きなように生活させられる人が。

その人の存在を愛す人が。

恋愛でもそうでなくても幸せを願う人が。

 

あまりにも勝手すぎるがそう思う。

その人の文章を読むたびにいつもそう思っている。

一生懸命書いてはみるけど

 

 

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嫌な記憶を呼び起こす作業でへとへとになってしまい書ききれない。

 

みんなすごい。すごすぎる。

 

 

こうやって簡単なことならスラスラ書けるし、むしろそういうやつなんで、って内容も全く気にせず公開できるのにな。

 

書きかけの下書きが溜まっていく一方だ。

 

 

とりあえず最近はチェンソーマン読み終わったのと、ダンジョン飯よつばとの新刊最高でした。

 

あと逃げ恥とまだ結婚できない男を観た。

あつ森は頻度は減ったが続けている。switch版Apexは視野角の狭さに泣きながらもなんとか頑張ってみている。

 

 

そんなところ?

遊べないから家での娯楽ばっかりだ。

 

そういえば車を売って、夫が新しくクロスバイクを買ったので元々クロスバイク持ってた私と二人で公園など行って楽しんでいる。

 

 

これくらいのことをもっと書いていきましょう。

重い話はもっと楽な気持ちなってからでいいや。

 

 

ストレス依存症とクッキングパパとブログについて

 

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SNSから少し離れるということをしてみた

 

コロナとかトランプとか炎上とかよくわかんなくなってきてちょっと情報過多すぎるのかなと思ったので、Twitterの200くらい入れてるリストをタイムラインの隣に表示するのやめてトレンド追うのもやめてみた。

インスタもストーリー見ないようにしてあんまり好きじゃない人はミュートしたりしてとにかくストレスがかからないようにSNS環境整備をしてみた。

 

多分これは良かった!

ちょっと気持ちが落ち着いた気がする。

SNSに使っていた時間はクッキングパパを読むのにあてた。(緊急事態宣言中1000話無料!)

あとはネトフリとアマプラとあつ森。

 

SNSと距離置いて冷静になれたので今は少しずつ解禁して、ちょっと読んで嫌な気持ちになりそうだと感じたらすぐに読むのをやめるっていう練習をしている。

 

前に何かの記事で、炎上させるのもその一部始終を追ってしまうのもストレス依存症になっているからだというのをみた。

それは素直にそうかもしれないと思った。

自分からストレスを探して、それを叩いたり叩かれてるのを見たりして簡単にストレス解消の気分を味わっているのだという。

すごく怖いことだしそんな人間でありたくないと思っているが多分まさしくそれだ。自分から炎上を見に行って誰かが悪いことを叩いてるのを見て勧善懲悪だと喜んでいる。

私自身はこのブログ以外SNSは全て鍵をかけているし現実の知り合い以外にネットで話しかけたりもしないので一方的に観測しているだけなのだけどそれもまたなんか嫌な感じだよな。強い言葉で叩いている人を見るとそれはそれで嫌な気分になったりして。最悪だな。

 

思うに世の中の悪い人間がちゃんと悪い目にあっているのを見て安心したいんだろうな。そして良い人間が叩かれていると悔しくてやるせなくてまた勝手にストレスをためる。本当にこんなことやめた方がいいよね、、。

 

ストレス依存症としては炎上は最高の娯楽だもんね。それを理解してもまだ気になって観測を続けてたんだけどこの時世でいよいよ本気で嫌になってきてやっとやめられた。よかったほんと。

もうストレス発散のためにわざとストレスを感じることはやめて、これからは初めから素敵なものだけを見ようと思う。

そう思ってもはてなを見るのはやめられない、、人の思考は面白い、、、

でも嫌な気持ちになりそうだったらすぐやめるのは徹底する!真人間になりたい!!

頑張るぞ。

 

 

 

 

クッキングパパ好き

 

それにしてもクッキングパパは面白い。元々グルメ漫画とか癒されて嫌な気持ちにならない漫画結構好きなんだけど(普通にチェンソーマンとかも好き)クッキングパパは人間模様も素敵でいいな〜。

アベンジャーズ好きなんだけど、その理由は日本のドラマとかと違って一人一人のストーリーがきちんと深掘りされてからのお互いの正義がぶつかり合ったり関係が変わっていくことに深みを感じるから。

共感できるし応援できる。逆に、おいそれはないだろ!お前の今までは何だったんだよ!!とか思ったりもして、それもまた熱狂できるということになる。

クッキングパパはもちろん全然違うジャンルだけどとにかく長く連載してるし、でもほのぼの日常系だし、それなのにサザエさん時空じゃないし。

みんなが少しずつ成長していくのがいいな〜。たまに作りたいレシピにも出会えるし。

 

そういう長く続くものでいうとフレンズも好き。絶対にチャンドラと結婚したい。

23歳の時に見始めたんだけど、それまでは映像作品って私はテレビ観るかTSUTAYAで借りてくるだけだったからサブスク文化はほんと革命だったな。

洋ドラとかシーズンもの全く観たことなかったからすごい面白かった。そこらへんでアベンジャーズもはまった。

 

 

話逸れまくったけどとにかくクッキングパパ面白かった。続きもめちゃくちゃ読みたいけど残り50巻くらいあるんだよな、、。しかもまだ続いてるし。

続きはレンタルとか漫画喫茶とかになっちゃうかもな。さすがに買えない、、。

でも緊急事態宣言で荒んだ私の心を癒してくれた素晴らしい作品です!!感謝してます!!!

 

 

 

 

◎ブログの書き方

 

ちょっと今回段落で分けたくてこうなったけど、本当はなんかみんながやってるみたいにちゃんと章をつけたりしたいのにやり方わかんなくてこうなった。

調べるのも今は面倒なのでそのうち勉強しよう、、。

あとこの、、って誰か考えたんだろ?私も昔は3点リーダー使ってたんだけど友達がみんな(本当にみんな!)、、を使うようになって変えたんだけどブログだと違和感あるんだけど変えた方がいいよね??

次から…を使う!LINEではよく使うけどブログだと読みにくいもんね!

読みやすさとか考えていかないとね!誰も読んでないんだけどさ。

 

 

この前まだイライラしてる時に夫の愚痴をグチグチグチグチブログに書いて公開して冷静になってから無しかな?と思ったので下書きに戻した。

みんなどこまで私生活のこと書いててその線引きはどうやって決めたんだろう。

私はインターネットネイティブじゃないなという意識があって匿名でもあんまり好きなこと書けない方なんだけどその話もそのうち書きたい。

そしてけどけど使いまくっちゃうけどもっと文章力とかが必要だと感じてるんだけど?

でも多分それは続けるしかないけど。

今更文章力とか言い出すの恥ずかしいけど?

やっぱり書かないと駄目だね。書き続けないと。

 

 

終わり!

令和三年に令和二年を聴く

 

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令和二年、雨天決行、聴いた。

いや〜〜〜良いですね。

 

amazarashiって大好きなんだよなぁ。

好きな曲たくさんあって特に、雨男、悲しみ一つも残さないで、ドブネズミ、ナモナキヒト、吐きそうだ、百年経ったら、風に流離い、ピアノ泥棒、逃避行、空っぽの空に潰される、ライフイズビューティフル、とかが好き。

あと初めてしらふ聴いた時はすごい感銘受けた。19の頃日雇い派遣やってて一人暮らしで体調もずっと悪くて、家賃引き落としされる前日に日払い派遣やってその日貰ったお金でなんとか払えるみたいなギリギリの生活してたからamazarashi聴いたりしてなんとか日々乗り切るって感じだった。その頃の自分の心情にばっちり合ってたのよね。

感情が昂ってる時は音楽を聴くに限るよね。自傷したくなった時イヤホンで大音量でamazarashi聴いて我慢することとか今でもある。

 

そして令和二年ですよ。

令和三年1月からの緊急事態宣言はなんか前回のと違ってあんまり緊張感がないというか、遊んだり外食は辞めてるけど経済も回さなきゃなとか思って必要な買い物とかは普通に行っちゃってるし。

前はzoomでリモート飲みが流行ったけどわざわざ部屋作るのもめんどくさくて今はもっぱらLINEの会議通話で会えない友達たちと長時間通話したり。

 

だから令和二年聴いてもう忘れかけてた最初の頃のあの息詰まった感じというか不安で不眠っぽくなったり持病の過敏性のせいかお腹下しまくったりしてた時の暗澹たる気持ちとかをはっきり思い出したな。

慣れるわけないと思ってた毎日のマスクも今じゃしないと違和感あるくらい。人の適応力ってすごいんだな。

 

amazarashiの日陰を謳うことへの絶対の信頼のせいか歌詞がすぅっと入ってくるのよね。突っかかる気持ちが全然出てこない。

 

amazarashiを聴いてると、そうだよなあって思う。

しんどいよなぁ。厳しいよなぁ。

この世界では色んな事情を持つ色んな人が色んな想いで生きているんだよなぁ、、、。

とか思う。思える。

 

令和二年、雨天決行は友達がアルバム買ったからそれ借りたんだけど(Live DVDも最高だった)、スマホで聴くのは無料でSpotify使っててやっぱりアルバム毎に聴きたいから課金しようかなぁという感じ。

もちろんamazarashiだけじゃなくて他にも好きなアーティストはいっぱいいるのでそのうちまた書きたいと思う。

 

もっと早く書こうと思ってたんだけど最近元気なくて書けなかった。元気ない時ほど書いた方がいいんだろうな。そしてめちゃくちゃ下手だし。もっと書いて慣れないとなぁ、、。

またよろしくお願いします。

 

 

胃腸がよわい話

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ブログタイトルとかどうしようかなぁと考えて、アイデンティティを考えてみて、そしたら自分の中で一番長い状態が胃腸が弱いことなのでそれにした。

 

 

とりあえずお腹を壊しやすい子どもだった。昔からノロとか毎年なった。インフルとかにもよくなってたけど。

「いっつもイチョウ(私のこと)がうちに流行り病を持ってくる」と妹が言っていた。すみません。

 

高校1年の時に下痢が1ヶ月くらい続いてまぁお腹下しやすいとはいえさすがに、、と受診したら過敏性腸症候群と言われた。多くの人の痼疾である。

それから今までに6つ?7つ?くらい病院に行った。単純に何度も引越ししているのもあるけど。

薬を飲んでも変えても治らず一度大腸検査も受けたけどやっぱり過敏性腸症候群とのことだった。

その検査を受けた病院では薬を飲んでも意味ないと言われ出してすらもらえなかった。一生付き合っていくのかぁと思った。

 

また引越しして結婚して25歳になった時に症状が酷くなってきたので新しい病院に行ってみた。

当時は週5〜6で下痢が続いており買い物もままならなかったりした。

そこの先生は本当に良い先生で40分くらい時間をかけて薬の効能や絶対治ること、悲観しなくていいことを教えてくれた。

何ヶ月か通って下痢も週2くらいになった。でもやっぱりいざという時に飲む用の薬を飲んだとしてもどうしても下す日は下すので仕方ないなとなった。やっと体質だと受け入れることができた。今はたまに市販の下痢止めを飲むくらいだが身体が下痢をしないことを覚えたのか週1くらいで済んでいるし短い労働も出来ている。あの時親身になってくれた先生ありがとうございました。

 

胃の方はたまに普通のご飯を普通に一人前食べただけで6時間ほど経っても消化されずそうすると眠れないくらいの激しい胃痛に襲われるのでそうなると自分から吐いたりしてしまう。

あと多分逆流性なのと時々胃痙攣になる時がある。

でも私は吐き癖がついているのですぐオエッてなるし怖くて胃カメラはできていない。(頑張って吐き癖は治しているところです)

胃痙攣は本当に恐ろしくなる度に今殺してくれと心の底から神に祈る。

 

しかし最近胃痙攣がきそうな悪寒がした時にすぐ行う対処法があるのでここに記しておきたい。

まず白湯で胃薬を飲む。

胃と腸の不安な感じがおさまるまで湯船に入って身体を温め続ける。その時もお湯は飲み続ける。

強い悪寒がおさまってきたら身体が冷えないように急いで出てめちゃくちゃ厚着をして胃のあたりに貼るカイロを貼ってめちゃくちゃ毛布をかけて寝る。

これだ。

 

酷い生理痛の時や何度トイレに行っても下痢がおさまらない時もこれをやっている。とにかくめちゃくちゃ温めることが大切である。

 

 

そしてこれを書いている今も私はめちゃくちゃお腹を下している。ストッパも飲んだし白湯も飲んだしお風呂にも入り続けている。理屈じゃない腹痛がここにはある。

推敲するのもしんどいので多分酷い文だけどこのまま公開しちゃお。ブログって続けることに意味があるし。おっけいおっけい。

 

そういうわけでこれがまさに今胃腸が弱っている人間の文章である。

メメントモリ的(あるいは違う)

 

たった4時間の仕事をヒーヒー言いながらこなし、帰ってきて日課(最悪)のTwitterトレンド巡回をしていたところ、有名なYouTuberの方が亡くなったことを知る。

私は存じ上げなかったけどその方のYouTubeを見にいったところ「生きるモチベーションがない」という動画を1ヶ月ほど前にあげていて、それを観て思い出したことがある。

 

 

6年ほど前、私はTwitterでメンヘラアカウントを持っていた。

現実の知り合い(って表現を今でもするのか?今ではSNSも現実なのか?)とは一切関わらずしかし鍵はかけず、フォローフォロワーが100人ずつくらいの小さなアカウント。

そこで当時20歳くらいの私は現実では隠している自分の病みを洗いざらい吐き出すべく自撮りをあげメンヘラ流ネタツイを繰り返す。

フォロワーも同じようなメンヘラ、もしくはメンヘラ好きのメンヘラばかりでお互いの傷を舐め合い承認欲求を承認し合い少しでもこの苦しみを減らそうとみんな一生懸命もがいていた。

 

そんな星の数ほどあるメンヘラアカウントの中でもアルファツイッタラー的有名アカウントがいくつかあり、フォロワー5000人くらいからは人というよりコンテンツとして存在しメンヘラたちが求めてやまない"いいね"をほしいままにしていた。

 

たぶんみんな「特別なメンヘラ」になりたかった。

現実では見渡せば、自分より生きやすそうな人間が生きやすそうな家庭に生まれ生きやすそうな環境の中生きやすそうに生活しているように見えた。

大人になったらみんなちゃんと辛いってわかったけど当時はわからなかった。自分だけとは言わないけど、何となく平均よりも自分は辛くてしんどいんだと思っていた。辛いことしかない何もない私はアイデンティティがメンヘラであることになっていた。

 

私は自分のメンヘラが認められること、それはすなわち自分という人間が認めてもらえることだと思っていた。

 

そしてそんなどうしようもない自分の生きる価値を見出したくて誰かに認めて欲しい私が憧れたのがメンヘラアルファツイッタラーの立場だった。

今考えるとしょうもなさすぎるけども。

 

有名アカウントはちょっとした呟きにもいいねが貰える。「人生どうでも飯田橋」や「おやすみ世界」という呟きでもわんさかいいねが貰えるのだ。

 

しかしやはり多くの人に承認されるメンヘラツイッタラーは何か秀でていた。

顔がめちゃくちゃ可愛かったり文章のセンスがあったり家庭環境があまりにも酷かったりと秀でている(?)分野は色々あるが、共通しているのは過度の人生の切り売りであった。

 

顔を出すのも自分の恥ずかしい体験を余すことなく伝えるのも赤裸々に家庭環境を明かすのも、全て人生の切り売りと言えると思う。

芸能人でもよく揶揄されるやつである。

自分の恥部をこれでもかと晒すことでそれを見た人は驚嘆し共感しファンになる。

「こいつはやべぇ」と思わせたら勝ちである。

 

だからみんな自分の病みをコンテンツとして扱った。

本当に心の底から辛いことでも今日のハイライトと題して面白体験として世界に曝け出した。

もはや躁とも言える状態になって言って良いこと悪いこと関係なくこんな人間が存在しているんですよ可哀想でしょう面白いでしょうと自嘲しいいねを集めた。

 

そうしてメンヘラを昇華できていると思っていた。

 

 

しかしTwitterメンヘラ界隈の日常が続いていたある日、有名メンヘラアカウントの1人が自ら死を選んでしまった。

 

これは本当に話題になった。みんなそのことについて呟いていた。

私は思った。メンヘラって本当に死ぬんだ。

 

それは衝撃だった。目を背けていたことだった。みんな自傷したりODしたり自殺未遂したりしていたが生きていた(私が観測できる範囲では)のに。

メンヘラは死なないって嘘じゃん。メンヘラは構ってちゃんだから本当に死ぬ勇気なんてないなんて嘘じゃん。

 

すごく怖かった。

その人は、「よき倫理を」と呟いて死んだ。まるで映画のワンシーンみたいだ。ぼくのかんがえたさいきょうのしにかただ。

メンヘラは多分みんなきっとそうやって死にたかった。かっこいい言葉を残して死んでニュースになってみんなに話題にしてほしかった。

でもあとちょっとのところで堪えてなんとか生きていた。

でもあるメンヘラは死んだ。死ぬんだ。メンヘラって死ぬんだ。

 

 

その方のことも私はそんなに詳しくはなくて、どういう思いで亡くなったのか、Twitterで祭り上げられる立場であったことが関係あったのかなどはわからない。

でも私も何度もあとちょっとのところで死を選びそうになったことがあった。

19で親元を離れてからアパート暮らしだったので住居の階数が低く飛び降りても即死できないだろうなとかが思いとどまった理由の一つであったりした。

 

 

 

人は簡単に死ぬ。つい何日か前に呟いていたり、やる気が出てきたと動画をあげていた人が突然亡くなる。

 

私はべつにこれでTwitterをやめようとかSNSが悪だ何だとか言っているわけではない。

ただ人は本当に死ぬということを実感として知った時のことを思い出し書いただけだ。

 

色んな人間の色んな人生や気持ちを知るとどこかで役立ったりプラスに働いたりまぁもしくはマイナスに働くかもしれないけど、そういう風に考えて書いていこうと思っているだけだ。

 

 

人は死ぬ、簡単に死ぬ、でも本当は簡単じゃなくて悩み抜いた上かもしれないし、とにかく気持ちは当人にしかわからないけど死を選ぶことがある。

それを忘れてはいけない。

 

 

人のことなら死を選んで欲しくなかったって思うの本当に勝手だよね。

でも思ってしまうよね。

 

安らかに、とも言えない。

そんな立場でもない。

 

 

でもやっぱりいつかの自分を含め、誰も死を選ぶような人生を送って欲しくないよなぁ、、、。

アウトプットをしようと思い

 

アウトプット、した方がいいんだろうなぁ。

文章書くことに慣れたいし、何か意味のあることを続けたいし。

 

と思って初めてみたけどこんな短い文章すら書いて消しての繰り返しだな。

さっきも書こうと思ったんだけど躁の気分すぎてめちゃくちゃになりそうだったから落ち着くまで待ってみたんだけど、落ち着いたらスラスラ言いたいこと出てこないな。

 

最近人の言ってることとか考えてることを読むのがすごく面白くて、それは本当に特別な内容じゃなくてよくて、だから自分もそういう楽しみ方をしてもらえるようになりたいと思っている。

 

でもなんかこれスマホで書いてるけど読みにくかったりするんじゃないの?

改行のタイミングもいまいち掴めないし。

 

とにかくやってみて続けてみてだ。

大人だから、最初は手応えとか全然なくても続けていれば徐々に形にはなっていくことがわかっている。

 

好きな文章ってあるんだけど久しぶりに書いた自分の長文全然愛せないな。

 

それもそのうちなんかこう良い感じになるでしょう。

 

 

その日あったこととか考えたことを書きます。

26歳パート主婦です。子どもはいません。

読んでる人いないのでとりあえず自分に、よろしくお願いします。