メメントモリ的(あるいは違う)
たった4時間の仕事をヒーヒー言いながらこなし、帰ってきて日課(最悪)のTwitterトレンド巡回をしていたところ、有名なYouTuberの方が亡くなったことを知る。
私は存じ上げなかったけどその方のYouTubeを見にいったところ「生きるモチベーションがない」という動画を1ヶ月ほど前にあげていて、それを観て思い出したことがある。
6年ほど前、私はTwitterでメンヘラアカウントを持っていた。
現実の知り合い(って表現を今でもするのか?今ではSNSも現実なのか?)とは一切関わらずしかし鍵はかけず、フォローフォロワーが100人ずつくらいの小さなアカウント。
そこで当時20歳くらいの私は現実では隠している自分の病みを洗いざらい吐き出すべく自撮りをあげメンヘラ流ネタツイを繰り返す。
フォロワーも同じようなメンヘラ、もしくはメンヘラ好きのメンヘラばかりでお互いの傷を舐め合い承認欲求を承認し合い少しでもこの苦しみを減らそうとみんな一生懸命もがいていた。
そんな星の数ほどあるメンヘラアカウントの中でもアルファツイッタラー的有名アカウントがいくつかあり、フォロワー5000人くらいからは人というよりコンテンツとして存在しメンヘラたちが求めてやまない"いいね"をほしいままにしていた。
たぶんみんな「特別なメンヘラ」になりたかった。
現実では見渡せば、自分より生きやすそうな人間が生きやすそうな家庭に生まれ生きやすそうな環境の中生きやすそうに生活しているように見えた。
大人になったらみんなちゃんと辛いってわかったけど当時はわからなかった。自分だけとは言わないけど、何となく平均よりも自分は辛くてしんどいんだと思っていた。辛いことしかない何もない私はアイデンティティがメンヘラであることになっていた。
私は自分のメンヘラが認められること、それはすなわち自分という人間が認めてもらえることだと思っていた。
そしてそんなどうしようもない自分の生きる価値を見出したくて誰かに認めて欲しい私が憧れたのがメンヘラアルファツイッタラーの立場だった。
今考えるとしょうもなさすぎるけども。
有名アカウントはちょっとした呟きにもいいねが貰える。「人生どうでも飯田橋」や「おやすみ世界」という呟きでもわんさかいいねが貰えるのだ。
しかしやはり多くの人に承認されるメンヘラツイッタラーは何か秀でていた。
顔がめちゃくちゃ可愛かったり文章のセンスがあったり家庭環境があまりにも酷かったりと秀でている(?)分野は色々あるが、共通しているのは過度の人生の切り売りであった。
顔を出すのも自分の恥ずかしい体験を余すことなく伝えるのも赤裸々に家庭環境を明かすのも、全て人生の切り売りと言えると思う。
芸能人でもよく揶揄されるやつである。
自分の恥部をこれでもかと晒すことでそれを見た人は驚嘆し共感しファンになる。
「こいつはやべぇ」と思わせたら勝ちである。
だからみんな自分の病みをコンテンツとして扱った。
本当に心の底から辛いことでも今日のハイライトと題して面白体験として世界に曝け出した。
もはや躁とも言える状態になって言って良いこと悪いこと関係なくこんな人間が存在しているんですよ可哀想でしょう面白いでしょうと自嘲しいいねを集めた。
そうしてメンヘラを昇華できていると思っていた。
しかしTwitterメンヘラ界隈の日常が続いていたある日、有名メンヘラアカウントの1人が自ら死を選んでしまった。
これは本当に話題になった。みんなそのことについて呟いていた。
私は思った。メンヘラって本当に死ぬんだ。
それは衝撃だった。目を背けていたことだった。みんな自傷したりODしたり自殺未遂したりしていたが生きていた(私が観測できる範囲では)のに。
メンヘラは死なないって嘘じゃん。メンヘラは構ってちゃんだから本当に死ぬ勇気なんてないなんて嘘じゃん。
すごく怖かった。
その人は、「よき倫理を」と呟いて死んだ。まるで映画のワンシーンみたいだ。ぼくのかんがえたさいきょうのしにかただ。
メンヘラは多分みんなきっとそうやって死にたかった。かっこいい言葉を残して死んでニュースになってみんなに話題にしてほしかった。
でもあとちょっとのところで堪えてなんとか生きていた。
でもあるメンヘラは死んだ。死ぬんだ。メンヘラって死ぬんだ。
その方のことも私はそんなに詳しくはなくて、どういう思いで亡くなったのか、Twitterで祭り上げられる立場であったことが関係あったのかなどはわからない。
でも私も何度もあとちょっとのところで死を選びそうになったことがあった。
19で親元を離れてからアパート暮らしだったので住居の階数が低く飛び降りても即死できないだろうなとかが思いとどまった理由の一つであったりした。
人は簡単に死ぬ。つい何日か前に呟いていたり、やる気が出てきたと動画をあげていた人が突然亡くなる。
私はべつにこれでTwitterをやめようとかSNSが悪だ何だとか言っているわけではない。
ただ人は本当に死ぬということを実感として知った時のことを思い出し書いただけだ。
色んな人間の色んな人生や気持ちを知るとどこかで役立ったりプラスに働いたりまぁもしくはマイナスに働くかもしれないけど、そういう風に考えて書いていこうと思っているだけだ。
人は死ぬ、簡単に死ぬ、でも本当は簡単じゃなくて悩み抜いた上かもしれないし、とにかく気持ちは当人にしかわからないけど死を選ぶことがある。
それを忘れてはいけない。
人のことなら死を選んで欲しくなかったって思うの本当に勝手だよね。
でも思ってしまうよね。
安らかに、とも言えない。
そんな立場でもない。
でもやっぱりいつかの自分を含め、誰も死を選ぶような人生を送って欲しくないよなぁ、、、。